私達の胃腸管内には、その内壁を覆うようにきわめて多数の腸内細菌が混在して定着しています。
このことは腸内細菌の存在とヒトの生命活動との間に密接なかかわりがあることを暗示しています。
事実、多年の研究によって生体内のさまざまな器官・組織の機能そのものに大きな作用を及ぼす
腸内細菌の実態がひとつひとつ解明されてきています。
生物は進化の過程において、生存により適した形に生体の機能を発達させてきています。
腸内細菌は宿主の進化とともに、それに適合し、より高度なシステムとして宿主と共存関係を保っています。
そしてヒトをはじめとする動物の胃腸管内に存在し続けているのです。こうした腸内細菌の存在意義は、
ヒトと根源的にかかわり、ヒトをヒトとして存在せしめているところにあります。
腸内細菌叢はまさに一つの臓器として機能を果たしているのです。このことをもって、腸内細菌叢を
『第三の臓器』として提唱しています。
腸内細菌の研究から、私達は色々な新しい概念を学び取っております。例えば、
腸内細菌叢から人間の健康維持に積極的に働きかける菌株も発見され、そこで菌叢を通じて健康維持を図るという
新しい考え方も生まれてきています。また、腸内細菌の生体や生理を研究することにより、
私達の体に有益な物質や、その作用メカニズムなどが発見されてきております。この様にして腸内細菌は人間に無限の希望と期待を抱かせつつあるのです。
◆私達の身のまわりにいる目に見えない微生物◆
私達を取り巻く環境には、肉眼では見ることのできない非常に小さな生物、すなわち「細菌」や「カビ」などの「微生物」
がいたるところに生息しています。自然界の中で、微生物は生物の排泄物や死体を分解して、他の生物が利用できるような簡単な無機化合物に戻す役割を果たしています。
この働きによって環境の汚染が防がれ、他の生物が正常に生きていくことができるのです。
しかしそれだけではなく、私たち人間は昔から微生物を進んで生活に役立ててきました。例えばヨーグルト、チーズなどの発酵乳製品、味噌、醤油などの醸造品や漬物などの食品
に微生物は使われてきました。また、細菌では医薬品の生産などにも微生物を使うようになりました。
私達人間は、自然界に住む微生物から大きな恩恵を得ているのです。
そして今、人間の生命活動に密接に関わるもうひとつの微生物の世界が注目を集めています。
もうひとつの微生物(細菌)の世界。それは私達の体内に存在します。
◆消化管内に常在する腸内細菌◆
私達は、生きるために、エネルギーの源や体の成分となる物質を対外から取り込まねばなりません。
そのような物質を体が利用できるような形にまで消化・吸収するために特別に発達した器官が消化器です。
消化器系は胃や腸などの消化管と、肝臓や膵臓などの消化を補助する器官からなります。
消化管は口から肛門に続く一本の管で、全長はおよそ10メートル、表面積はテニスコート一面分にもなります。
この消化と吸収が行われる消化管の壁面をびっしりと覆うようにして、腸内細菌が定着しています。
腸内細菌は人間が摂取した食物、さらには腸管の分泌液や腸壁を覆う粘液などを栄養源として生育し、
大量の物質を産生しています。
一般の環境中の細菌も食物などを通じて人間の胃腸管に侵入することができますが、胃酸や胆汁などによって死滅してしまったり、
生き延びたとしても数日から1週間程度で体外に排泄されてしまい、定着することはありません。その一方で、
腸内細菌は自然環境中では競争力の弱い細菌ですが、人間の胃腸管内では、胃酸や胆汁などに耐性をもつなどして、
胃腸管内の環境によく適応して旺盛に繁殖しています。腸内細菌は、自然環境中の菌とは異なる性質を持つ独特の菌なのです。
人間の胃腸管内に生息する腸内細菌は、300種類100兆個、総重量は1000グラムにも及ぶといわれています。これは、
人間の体を構成する約60兆個の細胞数よりも多いのです。総重量も脳や肝臓に匹敵するほどです。
◆腸内細菌は人間とどのように関わっているのか?◆
腸内細菌が、その宿主の生理機能に対して非常に大きな影響を与えていることはもはや明らかです。
そしてそのことは人間と腸内細菌の関係においてもあてはまるのです。
腸内細菌は、以下のようなことがらで、人間に対して影響を及ぼしています。
- たんぱく質や糖質を分解したり、人間には消化できない繊維質を分解して消化を助けている。
- コレステロールや中性脂肪(トリグリセライド)の代謝や糖の代謝に影響を与え、血清中の脂肪やコレステロール量あるいは、
血糖値を適正な値に改善する。
- 腸内細菌の産生する酸(乳酸や酢酸など)は腸内pHを酸性に下げる。その刺激により、腸の蠕動運動が活発になり消化活動が促進される。
また、病原菌の増殖を抑制し、有害物質の産生および吸収を抑制する。
- 胃酸や胆汁等で死滅しなかった外来菌も、腸粘膜を腸内細菌が覆っているので定着できない。すなわち感染防御を行う。
- ある種の腸内細菌は、ニトロソアミンやトリプ_P_1などの発ガン物質を分解し、無害化している。
また、やはりガンを引き起こす可能性のある過酸化脂質の量を低減させる。
- ある種の腸内細菌は、ステロイドホルモンやビタミンB1、ビタミンK、ビオチン、葉酸などを産生しヒトの体調調節に影響を与えている。
- 免疫系の賦活:腸内細菌が免疫系を刺激することにより、免疫系が活性化される。
など多くのことが明らかになっています。そしてこれからも、さらに多くのことが明らかになっていくことでしょう。
腸内細菌は、ヒトの正常な免疫系の確立に対して重要な働きを担っています。
ヒトは、新生児には母体の免疫(受動的免疫)を獲得していますが、能動的免疫は確立していません。この能動的免疫の確立に最も重要な働きを持つ
要因が腸内細菌の定着です。ヒトの腸内細菌叢は4週齢以後に比較的安定した状態になりますが、
この間に能動的な免疫系が確立していきます。その過程は次の通りです。
- 腸内細菌が消化管壁に定着すると、腸内細菌から産生された物質が消化管を形成する細胞に送り込まれます。
- この物質を、まずマクロファージが取り込み、T細胞にこの情報を伝達します。
- T細胞は、さらにこの情報をB細胞に伝達します。
- こうして消化管の粘膜固有層に存在する活性化されたリンパ球(T細胞、B細胞)は、腸間膜リンパ節に達し、
さらに胸管へ移行後脾臓に達します。
- 活性化されたリンパ球は、短期間脾臓に留まった後、再び元の粘膜固有層(消化管壁近くの組織)に帰着します。
- ここでB細胞は、プラズマ細胞に分化し免疫系の主体である抗体・免疫グロブリン(Ig)を分泌します。[免疫グロブリン(Ig):抗体及びこれと構造上で関連を持つタンパク質の総称。]
こうして、消化管全域のリンパ系細胞が活性化され全身に亙る正常な免疫系が作り上げられるのです。
◆異常菌叢と健康◆
通常、腸内細菌はある一定のバランスを保って定着しています。菌叢のバランスを崩すさまざまな要因、――たとえば偏食、抗生物質の服用、加齢、ストレス、など――が働いても、
もとのバランスに回復しようとする力を菌層は持っています。この働きによって菌叢は、栄養摂取や感染防御などの点において人間に影響を与え、健康維持に役立っています。
しかし、これらのバランスを崩す要因が長期間にわたって絶え間なく加えられていると、菌叢を正常な状態に回復する働きが失われていき、菌叢は異常を呈していきます。
菌叢のバランスが崩れると、腸内の有益性菌(おもに乳酸菌)が減少し、有害菌や病原菌などか増加してきます。
菌叢バランスが乱れ、通常の状態とは異なる菌叢が生じると、次のような状態が生じやすくなる。
- 腸内腐敗:腐敗菌が増加し、タンパク質を分解してアンモニア、硫化水素、アミン等の悪臭のある物質をつくるようになる。
- 有害物質の産生:アンモニア・硫化水素・インドールなどの有害物質がつくられる。
- 発ガン物質の産生:ニトロソアミンやトリプトファン代謝物などの発ガン物質がつくられるようになる。
- 下痢・便秘:病原菌の進入や有害性菌の異常増殖がおこると、これを排泄する現象として下痢が起こる。有益性菌の減少によって、腸の蠕動運動が不活発になることなどの原因で便秘が起こる。
- 病原菌の増殖:菌叢が異常になり有益性菌が減少すると、通常は少数の菌や有害菌が増殖して、感染症などを引き起こすこともある。
異常菌叢が作り出す様々な有害物質は、ただちに人間に悪影響を及ぼすことはないにしても、長期間にわたってそれが産生され蓄積している間に疾患を発生させたり、免疫力を減退させるようになります。
菌叢バランスが崩れることによって、高脂血症や動脈硬化、ガンなど種々の生活習慣病が発生しやすくなるといわれています。
◆消化管内の乳酸菌◆
乳酸菌は、糖質を分解して多量の乳酸を産生する菌です。乳酸菌は私達の生活に非常になじみの深い菌で、
ヨーグルト・チーズ・漬物・味噌などの食品や乳酸菌製剤などの医薬品の製造に利用されています。
一方、人間の胃腸管にも自然環境中のものとは異なりますが、やはり糖質を分解して多量の乳酸を産生する
腸管固有の乳酸菌が存在しています。しかも非常に優勢に定着しているのです。
消化管内に定着する乳酸菌は、エンテロコッカス、ストレプトコッカス、ビフィドバクテリウム、ラクトバチルス、の4属が主なものです。
そのうち、エンテロコッカスとストレプトコッカスは球状の形態をした球菌であり、ビフィドバクテリウムとラクトバチルスは棒状の形態の桿菌です。
腸内の乳酸菌は、様々な物質の産生等によって人間に大きな影響を及ぼしています。たとえば乳酸菌の産生する乳酸や酢酸は、
腸内のpH値を酸性に下げ、有害菌の増殖や外来菌の定着を阻止したり、腸管を刺激して蠕動運動を活発にするなど多くの働きをしています。
その上、ヒトに悪影響を与える物質は産生しません、それだけでなく、なんらかの疾患があると腸内細菌叢に以上が見られることが、
多くの調査・研究から明らかになっており、そのときに菌叢に起こるもっとも大きな変化は乳酸菌群の減少なのです。
生活習慣病患者の多くに便秘症状が見られるのがそのことを良く示しています。これらのことから、
腸内の乳酸菌は、人間の健康や疾患となんらかの少なからぬ関係を持っていることが推測されました。
そこで、乳酸菌と生活習慣病の関わりをあきらかにするために、胃腸管の乳酸菌数と血清コレステロール値の相関を疫学的に調査しました。
その結果、乳酸菌(の一種エンテロコッカス)の菌数と血清コレステロール値には、負の関係があることがわかりました。
すなわち、血清コレステロール値が高く、高脂血症を発症している人は、エンテロコッカス数が少ないのです。
逆に血清コレステロール値が正常域にある人では、エンテロコッカスの数は高値を示していました。
以上のことから、エンテロコッカスが人間の生理、特にコレステロールの代謝に大きな影響を及ぼしていることが分かりました。
さらにエンテロコッカス属から、血清コレステロール値をよく低下させる作用を持つ株菌が発見されています。
◆ヒトと腸内細菌◆
人類の数百万年にもなる歴史の中で、腸内細菌はヒトの消化管内に存在し続けてきました。
しかもヒトの生理と深く関わりながら。特に、健康なヒトに多く見いだすことのできる腸内細菌は、
もはやヒトと相互依存・共生関係にあるといっても良いでしょう。ヒトもそのような腸内細菌を体内に持つことによって、自らの健康を維持しているのです。
腸内細菌の存在意義は、ただ単に宿主の栄養を奪って腸内に生育している寄生虫などとはおのずと異なるものなのです。
自然界には、この様な共生関係の例をいくつか見ることができます。
腸内細菌は様々な物質を産生して他の菌体に影響を及ぼす一方、その物質は胃腸管を通して吸収され、生体の代謝機能に影響を及ぼしています。
また菌叢も人間の食生活その他の影響によって変化することがあります。
人間には、周囲の環境が変化しても体内の状態を一定の状態に保つ働きが備わっており、
この働きをホメオスタシス(恒常性維持機能)とよんでいますが、腸内細菌はヒトの生理機能や代謝などの諸活動に影響を及ぼしホメオスタシスに大いに寄与しているともいえます。
そうした腸内細菌の働きは人間にとってなくてはならないものであり、人間の存在と根本から関わっているのです。
最先端の科学は、このような腸内細菌とヒトとの共存関係を一歩進めて、ヒトの健康維持に関わる腸内細菌の活性を高めたり、
腸内細菌のもつ作用を食生活に応用したりして、ヒトの健康をよりアクティブに保全することを提案しています。
◆ヒトの健康維持に関わる腸内細菌◆
いままで見てきた、ヒトと腸内細菌の数々の関わりあいは、腸内細菌の存在を正しく認識することの重要性を物語っています。
その次のステップは、ヒトと腸内細菌の関係を如何に発展させていくかにあるでしょう。
こうした考えをもとにして腸内細菌に対する長く絶え間ない研究が行われてきているのです。
ヒトには約300種の腸内細菌が存在しています。ところが、同じ種ではあっても、それぞれ特徴の異なる株(菌株)が無数に存在しています。
腸内細菌の研究とは、まさにこの菌株の追求にほかなりません。つまり、どのような菌株が存在し、
それがどのように生体(宿主)に対して影響を与えているかを調べることです。
したがって、実際の研究は株の分離から始まります。分離された菌株は、低温で保存されます。
次は、そうした菌株が生体に対してどのような作用を持つか調べることです。
たとえば、ある特殊な環境で無菌状態の動物(マウスやラットなどが良く利用される)を作り、それと、
ある特定の菌株を腸内で多く増殖させた動物の生理的な相違を調べるなどといった手順を追います。
もちろん、ここで腸内細菌の安全性も十分に検討されます。
このように多くの地道な努力を通じて、生体に対して有益な菌体を探し出すのです。
最後に、ヒトに対しての作用が確認されます。
数万におよぶ菌株の中から、このようにしてヒトに対して有益な菌株が探しだされるのです。